鈴鹿の魅力

農業が盛んな街「鈴鹿市」背景に鈴鹿市役所庁舎
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磯山乃八幡神社

御祭神

◎誉田別尊(応神天皇)(ほんだわけのみこと)通称 八幡さん《武道・文化を導く神》

・社伝によれば、太田忠左衛門の先祖が本社御神体を字六人堀の堀切川下流より、背おい来て、安置したと伝える。

其の時、獅子も一緒であったが、忠左衛門の枕元に現われ、「別保へ連れてって」と言うので、後日、隣村の神社へ連れていったので、この神社には獅子がいないとのこと。

 

明治四十二年八月十四日、素佐之男命(すさのおのみこと)通称 祇園さん《疫病除けの神》菅原道真公(すがわらのみちざねこう)通称 天神さん《詩歌・文筆・学問・進学の神》大山祇之神(おほやまずみのかみ)通称 山の神さん《山の神》金山比古命(かなやまびこのみこと)通称 なし《航海安全・海難救済の神》の四柱が合祀された。

 

○素佐之男命(すさのおのみこと)通称 祇園さん《疫病除けの神》

・明治十四年、悪疫流行のとき、尾張国津島神社の分霊を乞い、池田乙藤に祭ってあった津島神社。

 

○菅原道真公(すがわらのみちざねこう)通称 天神さん《詩歌・文筆・学問・進学の神》

・神社の元姓子寺であった正安寺に安置されていた天満宮。

 

○大山祇之神(おほやまずみのかみ)通称 山の神さん《山の神》

・農家の神として、池田乙藤に祭ってあった山の神。

 

○金山比古命(かなやまびこのみこと)通称 なし《航海安全・海難救済の神》

・元官主太田三郎右衛門の鎮守であり、神社脇、社有地に安置してあった金刀比羅の神。

由 緒

磯山(東磯山含む)地区の総鎮守である。

当神社の創祀については不詳であるが、「八幡宮之縁由」及び「八幡宮年譜吟」等によれば、当宮の神宮寺として正安元年(一二九九年)に白雲山正安寺を建立したと伝えており、社伝によれば、正安元年以前に、社が創建されたとされている。

 

また、当社には「勢州奄芸郡磯山 奉造営八幡宮當邨安泰守護所 天文十四年(一五四五年)乙巳九月二十五日 官主太田三郎右衛門陣符為末代記之」の棟札一枚が蔵されており、室町時代に当社の社殿の造営が行われていることがわかる。

江戸時代に至るまで、当社は正安寺の管理下にあり、別当職が任じられて祭祀が行われていた。

 

明治に入り神仏の分離により、正安寺の支配を離れ、明治四十二年(一九〇九年)八月十四日に磯山にあった諸社を合祀している。

その後は磯山(東磯山含む)地区の総鎮守として近郊に崇敬を得ている。

少なくとも、千年以上の歴史に輝く由緒ある神社である。


神戸城跡・野面積み

神戸城跡、神戸公園 神戸城は戦国時代、神戸具盛(とももり)により築かれ、安土桃山時代の初め(天正8年)神戸家養子となった、織田信長の三男信孝によって、五層の天守閣が築き上げられたといわれています。ぐるりと堀がめぐる城郭は東西に5百メートル、南北に3百メートルといわれ、現在は「野面積み」の石垣だけが当時を今に伝えていますが、神戸城跡を含む一帯は神戸公園として整備され、市民の憩いの場として多くの人に利用されています。